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否定力と受信力

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もしも教室で誰かがいじめられていたなら、多くの人は、いじめられないためにいじめる者に近づくだろう。誰かの否定を肯定した瞬間だ。

 

友人が誰か異性を好きになったとしよう。どうにか応援したい気持ちにもなるが、その異性と話してみると、「あの人しつこい」「めんどくさい」「迷惑」なんて言われてしまった。こうなったらもう互いの話を詳しく聞かずに、否定する側の肩を持つことも多いだろう。

 

テレビやネットで「あの映画はひどい」と誰かが言ったら、ああ、ひどいんだなと思うだろう。

 

人は否定されると言うことを聞いてしまう。

 

その証拠に、「あの映画はひどいと誰かが言っていたが、そいつは何もわかっていないバカだ。誰が見ても実によく出来ている、歴史に残る名作だよ」とまた別の誰かが言えば、ああ、あの人バカだったんだと思うだろう。

 

否定を否定すると、説得力は増す。

 

だから、「何でもすぐ否定して、他人の意見を聞かないで、自分の意見ばかり押し付けて、結局は自分の意見を通したいだけでしょ? そういう人とは関わりたくないよね」と、こんな人もいる。

 

これには多くの人が共感出来ることだろう。

しかし本人は気づいていないだろうが、これを言っている本人がまさに、自分の意見を通したいがために他人を否定している人そのものである。

 

世の中は難しい。

いじめた人をいじめるのが正義になることもあれば、女性差別根絶のために男性の自由を奪うこともある。障害者を特別扱いすることが平等というものであったり、宗教は悪だという教えの妄信的な信者がいたりする。他人の貴重な時間を奪うなという言葉に貴重な時間と心の平穏を奪われることもあれば、人は内面が大事だから内面を良くすればそれが外面に表れてきてモテるとか言い出す人もいる。

 

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極論で言えば、否定に意味は無い。

否定の本質は受信側の向いている方向によるもので、矛盾する文面をどちらに受け取るかで、その意味は大きく変わる。

 

否定が持つ力の扱い方を今一度考えたい。

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