BLOG

日常や作品などを記録するブログ

ポエマーは空を撮る

シェアやコメント、読者登録大歓迎です。少しでもいいなと思ったらぜひ。

twitterもどうぞ。新着記事のお知らせしてます。

スポンサーリンク

ポエマーは空を撮る。

ポエマーは踏切を撮る。

ポエマーは電柱を撮る。

 

f:id:cnoace:20170702161111p:plain

 

かく言う僕も、ポエマーにカテゴライズされることも多いので、自己防衛を図ってみる。

 

なぜポエマーは空を撮るのか。

あえて真剣に考えてみる。

感覚的に「つまらない」とか「誰でも出来る発想」で片付けるのは簡単だけど、つまりは「共感の公約数」を取り出しているのだ。共感の最大公約数を取り出すのがきっと表現の目標なのだと思う。

 

おそらく共感面積みたいなものがあまりにも大き過ぎた場合、嫌悪感を与えてしまうこともあるかもしれないが、それは同族嫌悪によるものでダジャレの原理と似ている。

 

そもそもダジャレそのものが「上手くないシャレ」であるから面白くないし感動しない、という考え方はひとまず置いといて、「布団が吹っ飛んだ」になぜ感動出来ないかと言うと、共有され過ぎているからだ。ある意味ポップでありメジャー過ぎるために、 パッヘルベルのカノンみたいなものになっているのだと思う。

 

作曲初心者がカノンみたいな曲を目指し、少し経験を積むとカノンみたいな曲を避け始めるようなものだと思う。

 

しかし一周まわってカノンみたいな曲を目指すように、一周まわって「布団が吹っ飛んだ」が面白くなる瞬間がある、かもしれない。

 

くだらない、面白くないと感じるものは一周まわれば面白かったり、本当はすごいのかもしれないと思うことがある。それは対人であれば集団の時に起こりやすく、一対一の場面では起こりにくいかもしれない。誰かが死ぬほど面白くないことを言った時にクスっとしてしまうのは、たぶん面白くないという空気を集団で「共感」出来るからじゃないだろうか。

 

面白いの仕組みは、「共感」と「裏切り」だと考えている。

上手に裏切ればきっと面白いものになるのだと思う。 

 

しかしダジャレのように裏切らないものもある。「布団が」と言われたら「吹っ飛んだ」になると予想出来る。そりゃあそうなるよな、という結果になる。同様に空も裏切らない。そりゃあ綺麗だし、「なんかイイ」って多くの人が感じている。共感面積が大き過ぎると、ズルいとか、浅はかだとか言いたくなってしまう。

 

逆に言えば、その共感面積を小さくすればするほど「なんかイイ」の「なんか」の余白が出てきてどんどん良いものになっていく。面積がゼロになればそれは「わからないもの」「理解出来ないもの」になる。共感面積を最小限に抑えて、残りの余白で影響を作り出す、そういうものを作れた時はたまらないんだろうな。

 

言葉に落とし込むのはなかなか難しいけど、要はただ感情的に否定することは、共感面積の大きさを知るためにもするべきではないという話。

常に素直に共感し、面白さを自分の中で作り出せたらいいと思う。

 

散々ダジャレをつまらないもの扱いしたように思うが、ダジャレとは最速最短で行う伏線回収の技術とも取れると思っているので、瞬時に生み出せる力はあったほうが良いなと感じる。

 

空がダジャレになり、ダジャレがカノンになってどうのこうのとややこしい文章を書いたが、結局のところ言いたいのは、ダジャレは面白く、空は綺麗だということだ。

広告を非表示にする