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日常や作品などを記録するブログ

青信号と蛙の声 #3

cnoace.hatenablog.com

 

「ドキドキ」
 サユミの冷めた目に気づき、男は焦って早口になる。
「緊張してるんですよ。声に出さないと、わかりませんから、感情なんて。ただでさえ見えないのに。身体がないって不便だなあ。それにしても深夜の街はホラーですね」
「何に緊張することがあるの、あなたと同じ仲間に会いに行くんでしょ。あなたがホラーそのものだって、自覚してる?」
「いやあ、仲間だなんて。人間同士だって上手く話せないのに、相手がお化けとなったら、どうしていいものか」
 小刻みに震えているようにも聞こえる声だった。
「本当に緊張してるのね」大丈夫よ、とサユミは何かを考え込んでいるような、静かな落ち着いた声で言うと、急に立ち止まって腕を組んだ。
「どうしたんですか?」
「どうしたんですかって」
 男はまた焦った口調で言う。
「えっと、何ですか? 何かあったんですか? いきなり立ち止まって」
 はあ、と大きくため息をついて、サユミは低めの声でゆっくり言った。
「信号」
 え? 男は何が何だかわからずにいるようだった。
「信号、赤でしょ」
 少しの間を置いてから、男は声を大きくした。
「あ、ああ! 信号ですね! 赤は止まれ、だ! そんなことを気にしなきゃいけないなんて、人間って不便だなあ」気にせず渡っちゃえばいいんですよ、そんなの。男は、まるで万引き常習犯のような、バレなければ何をしてもいいとでもいうような、癖になったらやめられないのだからというような開き直ったような口ぶりだった。
 確かにサユミは、いつも疑問に思っていた。人通りの少ない細まった道に立つ信号機は、一人寂しく光っては消え、光っては消える。誰も見ていないのに、車なんて通らないのに、何のためにあるのかわからない信号機は、考えるほどに馬鹿らしい、必要のないもののように思えた。
「でも守るの、それが人間。私が守る限り、この信号機には意味があるの」
「なるほどなあ。でもそれじゃあ」男は言いかけたが、何もなかったかのように話を変えた。「思うんですけど、信号って、三つ要ります?」
「はあ?」
「赤だけでいいと思いません? あ、でも車は急に止まれないから……黄色は必要ですね」僕、死んじゃったんですよと男はわざとらしく付け足した。
「青も要るに決まってるでしょ」青こそ必要でしょ。サユミは呆れて、いよいよこの男は異常かもしれないと考え始めた。
「そんなことないですよ。青か赤、どちらか一つでいいんです。だって青が無くなっても、赤が光っていない間は青と同じ意味になるんですよ」
「あ」
「ね? だから青信号なんて、要らないんですよ」
「そうじゃなくて」
「え?」
「そうじゃなくて、カエル」
「帰るんですか?」
「何のためにここまで来たのよ。カエルだってば。ほらそこ」
 サユミが指差すと同時に信号が青に変わった。
「青いですねえ」男はぼそっと気の抜けた声で言った。
「どうしたの? 帰りたかった? もう覚悟を決めなさい」
「ちょっとブルーです」
「つまらない」
 男が落ち込んでいる姿は、見えなくとも容易に想像出来た。

 帰りたくなることもある。青は進め、だけど蛙も青。見ている方向が違えば、それは進んでいるのと同じことかもしれない。サユミは少しだけ前向きになれた気がして、つぶやいた。
「私も。ブルーかも」

青信号と蛙の声 #2

cnoace.hatenablog.com

 

 風呂上がりに、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プシュっとやって、グビっとやる、この瞬間がサユミにとって至福のひと時であった。別にそれがビールでなくとも、牛乳だろうとお茶だろうと、グビっとやれればよかった。
 軟骨の唐揚げはすっかりしなしなになっていたが、歯応えさえあるなら、それもサユミにとってはどうでもよかった。
 静かな夜だった。
「明日は休み。明後日も。その次もその次も」
 ビールに手を伸ばし、無意識にぼそっと呟いた。「死んでるみたい」
「それ、僕の前で言いますか?」
 わっ! 驚いて膝を机にぶつけると、あっという間に唐揚げがビール漬けになった。
「まだいたの!?」
「大丈夫ですよ、ちゃんとここにいました。お風呂場から音は聞こえてきましたが、どうやら水場には近づけないみたいなんです」
「そんな心配はしてないの。あなた本当に死んでる?」そんなこと考えられるくらいなら、死んだほうが、余計なしがらみもなくて楽しいかもしれないね。サユミは真面目な顔で言った。
 男の話は夜中まで続いた。「後で聞くって言ったじゃないですか。約束は守るためにあるものです。それは死んでも変わりませんよ」
 たかだか死人歴一日の男にそんなことを言われる筋合いはない。
「私はそんなの守らないの。死んだら終わり」
「そんなこともないみたいですよ。知ってますか?」
 男は、いかにもこれから真剣な話をしますよとでもいう風な顔付き、をしているだろう声で言った。
「死神って、いるんですよ」
「死神? そりゃあいるでしょ」
「え!」
 サユミの思いがけない返事に、男は驚いた。
「死神ですよ? そんなのいるわけないじゃないですか、普通は! 普通はですよ? でもいるんですよ!これって不思議じゃないですか?」わかったわかった、約束は守らなきゃね。サユミは男の話を聞くことにした。
「まあいいけど、どうして死神がいると思ったわけ?」
「見たんですよ」
 待ってましたとばかりに、男は得意げに話し始めた。
「僕、今日死んだじゃないですか」
「死んだね。数時間前に。交通事故で」
 やっぱり本当に死んだんですね、男はうなだれながら続ける。
「死んだ時にね、見たんですよ。正確には死ぬ前ですけど。黒い影、視界の端っこに、黒い影が見えたんです。それで何だろうと思って目をそっちにやったら」バーンですよ、男はその時のことを思い出してまた泣き出しそうになった。
「痛かったなあ」
「かわいそうに」
「思ってないですよね、それ」
「いいから続けて」
「終わりです」
「え!」
 今度は、男の思いがけない返事にサユミが驚いた。
「それだけ?」
「それだけですよ。すごくないですか?」
「あなた、死んで正解だったかも」どういう意味ですか? サユミは男の言葉は無視して横になり、布団にくるまると、静かに言った。
「ねえ、私、あなたと普通に話してるの、不思議じゃない?」
「僕、今日死んだばかりなものですから何が不思議で何が思議だか」
「まあ、そうだよね。私、初めてじゃないの。あなたに話しかけられた時、全然驚かなかったでしょ。お化けの友達、たくさんいるんだ」